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 細海魚はいくつかの、きわめて骨太なロックバンドからもその演奏ぶりを買われサポートメンバーとしても活躍している。したがって毎年真夏のロックフェスなどへの出演も多い。実際、そういった方面において発揮されるべき「熱さ」も彼が持ち併せていることを僕は知っている。しかしながら彼には冬がよく似合う、と僕は思う。北海道で生れ育ったことはさておいても、だ。「冬」と言えば「木立」という語が頭で繋がるが、彼はそんな冬木立の木や枝のような男だと僕は思うのだ。寡黙で、装飾を好まずじっとしている。しかしひとたび燃やせばよく燃える。本人名義としては初の作品となった『とこしえ』や、とりわけ今回の新作『HOPE』では、彼があくまで個人的に焚いたはずのその小さな火が、人々の心をあたためたり灯りを点したりするのに役立っている。けれど誰も「その感じ」を言葉にすることは出来ない。何にも似ていない彼の音楽にそれでも僕らがつよいシンパシーを抱くのは、誰もが言葉に出来ない思いをそれぞれの時間の中で共有出来ているからにほかならない。石油ストーブに温められ蒸気で曇った窓ガラスの向こうに透ける景色は彼だけの幼少期の記憶であるのだが、そのときの匂いや感覚の深度を忠実に再現しようと紡がれた細海魚の音楽は、僕やあなた個有の記憶を喚び起こすことにも成功している。

 おそらく、インタビューは失敗だった。そもそも<無口な発言者>の象徴のような彼に「親子」とか「自作」について語れという意図それ自体に誤りがあるのだ。しかしもしかしたら、読者のうちの何人かは、細海魚という音楽家のこの「言わなさ」がじつによく伝わっているのじゃないかとも思えてくる。
<思い>を録音することは物理的に不可能なので、肝心なことは何ひとつ記録されていない。しかし翻ってそれは彼の音楽で知るより他はないということの最たる証明となったのではないか。  絵画にしろ写真表現にしろ音楽にしろ、いつでもだいじなものは小声で、微かな錯覚のように伝えられるものなのだ。

interview&text : 外間隆史

   
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