細海魚、という音楽家を知ったのは1996年頃だっただろうか。
以来彼とは近くなく遠くなく、どこかで会えば「やあ」と声を掛け合う程度の関係だった。
ひじょうに寡黙な男であり、みじかく発せられるコトバはどう控えめに表現してもぶっきらぼうだ。
その静寂へはどんな小石を投げかけても期待するような着地音はない。まるで雪の日の戸外のように。
関係性に変化がみられ始めたのは2012年、つまり僕が焚火社の起ち上げを思いついた頃。
声を掛けた4人の音楽家のひとりだった。
どれほど孤独に忠実であっても、彼の眼差しからは常にまっすぐな光線が発せられているのを僕は知っていたし、<無口な発言者>であろうとする焚火社にとって彼が近年発表している音源はひとつの理想であると考えたからだ。
 音のやり取りを経るうち会う機会も増え、今では僕らはよく喋り、よく笑う。かつてのような沈黙はなく、仮にあったとしてもそれは日だまりのような空白である。
2013年には一緒に旅をし、それはこのたびの『細見浩版画集』+『HOPE』の発表へと繋がるのだが、日常はその楽しい記憶をも遠ざけてしまうほど無常に過ぎていく。けれどもそこから1年ほどが経過したある日の午前3時半に突如「旅行、楽しかったっすね!」と1行メールを送ってくるのが細海魚という男だ。
 いずれにしても多くを語らないことに変わりはない。ましてや喋る代わりにつくっていると言っても過言ではない自作について語るなど、本人にとって最も必要のない作業であると思う。それでも僕は何かを確認したくて彼に訊いた。ボイスレコーダーがテーブルに置かれたこと以外、いつもと何も変わらない、コーヒーショップでの会話をここに記録しておく。


──『細見浩版画集』に添えられた『HOPE』を中心に魚くんのことやお父様のことを訊いていこう。コレは父上に捧げた曲集、というふうにとらえていいのかな?
SH : いいえ。
── ……。
SH : ぜんぜん……。

── 「捧げた」という表現がわるければ、少なくともお父さんへの思い、みたいなものがこの音楽の核なわけだよね?
SH : いいえ。
── ……。それだと話終わっちゃうんだけどさ(苦笑)。
SH : いや、ぜんぜんそういうつもりじゃないんですけど……どうまとめたいんですか(笑)?
── だってほら、こうして本に添えられたわけだから……
SH : 3曲目の「山と版画家」はあの映像につけたものだから( 焚火社ISSUE#002『火ト人』「木を彫る音に。~版画家・細見浩」の映像にBGMとして使用 )あれはまあ、そういうことですけど。

── じゃあ今回の焚火社でアップした「手紙」はお父さんに宛てた手紙であると解釈していいよね?
SH : いや、ちがいますけど。
── ちがうんだ……。じゃ何の手紙?
SH : 何の手紙って言うか……、手紙を書くときに相手のことをすごく考えるじゃないですか。その、感じ。
── その、「考えてる自分」を音にしたわけ?
SH : 自分じゃなくて誰でも、ですね。手紙を書いてる人が相手に対して思う気持ち、です。
── 魚くん自身のじゃなくて、すべての手紙を書く人の気持ち、なんだ。
SH : そうです。僕じゃなくて。手紙書くときってすごく相手を思う、それは濃密なことでその気持ちというか時間というか。

   

  
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