レコーダーの音声ではしばしテーブル上の食器がかちゃかちゃと音をたてている。
僕らはあの日、何をたべたのだったか。パンケーキか、パスタか……。
いずれにせよその空白は決して心地好い日だまりとは言いがたく、生半可なインタビュアーである筆者をいくぶん困惑させている様子がフォークの運びと共に録音されたものだった。
── さて、じゃあ版画集出版にからめて魚くんのお父さんについての思い出を聞かせてくれる? 様々な画家や写真家といったアーティストたちを知っていく中で魚くんにとって細見浩の版画はどう映ったんだろう?
SH : 子どもの時からもうずっといつでもつくってるわけだから、ある時までは何でもないというかずうっといつも家にあるもので……それについて考えもしない。もちろん嫌いじゃなかったですけどとくに「意識するもの」でもなかった。
── それがいつ頃から変わってくるんだろう?
SH : すごい量のスケッチや木屑や版木があって、作業自体すごく時間も手間もかかっていてたいへんじゃないですか。そこまでさせるのは何なんだろう? って考え始めた。僕も(音楽を)つくるわけだからそういうこと(父の作業のたいへんさ)はだんだん判ってくるわけです。だから自分の仕事ということに意識的になったあたり、30代くらいからかな。
── 魚くんの自宅リビングルーム、スピーカーの上に置かれた小さな版画のカードがきっかけだったね。北欧系の雑貨屋さんに売られてるグリーティングカードのように見えて「これは?」と訊ねたらそれがお父様の版画作品だと知った。リビングの隅に立て掛けられたいくつもの薄い箱もすべてお父さんの作品でそれらを開けてぜんぶ見せてくれたんだ。とても心地好いショックだったな。あの部屋でのレコーディングを終えてコーヒーを飲みながら作品の数々にすっかり惹かれて「お父さんの版画集が欲しい!」って思ったあの衝動が今回の本に繋がってる。
少なくともあの時点では、魚くんはお父さんの作品を好んで自宅に飾り、好んで手もとに置いていたわけだよね?
SH : それまでも好きな絵はいくつかあって部屋に置いたりしていたけど、「寄り」がなかったんですよね。ずっと「引き」の絵ばかりだった。牧草地があって防風林があって山があって、みたいな。それが最近になって「寄り」の絵が出てきた。たとえば『叢』(
'08年作品。細海魚『とこしえ』のジャケットに使用
)のような作品が。あとは素朴な単色刷りの小品だとか。そのあたりから、ですかね。
── 先生の中に何かしら変化があったんだね?
SH : それはよくわからないけど。なにしろあまり話をしないんで。だって俺なんてバンドばっかりやってたし18歳で東京出て来ちゃってるからじっくり話したりなんてしてないんですよ。それにすごくこわい父でしたから。
── 怖かったの?
SH : すごく。
── まあ、父と子ってそういうものかも知れないけど、こわかったっていうのは今の先生からは想像もできないね。
あるいは本心からそう言うのだろうし彼の言葉は事実なのだろうけれど、親のこと、ましてや父と自分の距離感についてなどそうそう語れるものでもない。多少の照れがあるのは理解される。しかしそうであるにせよ、今回のこのインタビューを「親子」というテーマで設定していたため話に流れをつくれない。
レコーダーの空白が増えていく。おそらくもう皿の上は空なのだ……。