木を「削ってしまう」ことで「残っていく」という版画の宿命……。しかしこのことで、自然はただそこに在るものではなく初めて人間の眼差しを反映することができる。版画という技法を借りて細見さんが描く<絵>には、削り取られたぶんの自然が描き込まれているということになるわけだ。
言ってみればごくあたり前のことも、こうして版画家のアトリエで実際に眼の前で削られていく木屑のかたちを眺めていて初めて実感することである。
版画家は言う。
「ふしぎなもので木を削るというその音がね、何か生活の一部になっているので、どうしてもそれが中心だと思うんですよね。ふしぎに、気持ちが落ち着くって言うんでしょうかねえ」
アトリエに西日が射すころ、ふたたびコーヒーの香りがしてきた。
細見さんは「昨日焙煎したのがあまりうまくいきませんでした」と言って新しい豆を用意し「これは私がいつも飲んでるやつなので、そこそこ、美味しいんじゃないかと思いますよ」と、淹れてくれたコーヒーを微笑みながら出してくれた。
おいしい。
書棚には、文学に混じってコーヒーに関する様々な本も並べられている。その隣りには長年コレクションしてきた豆本と呼ばれる稀覯本の数々。こうしたものらには目のない僕に、細見さんは巨大な作業机に並べて見せてくれる。近隣の大きな工場でとくべつにつくられたチーズをときどき齧りながら、細見さんの思い出話を聞く。同行している細海魚がアトリエのアップライトピアノで柔らかなシークエンスを繰り返し奏でている。
「朝起きて、朝食が終ったあとここで木を削って、そのうちにお昼だよって言われてお昼。で、気が向くとここでまた夕方まで……というような毎日が繰り返されているんです」
北海道、中標津町の西に日が沈もうとしていた。
woodcut print works : 細見浩
text & interview : 外間隆史
photo : 安部英知