──北海道の、道東のこの自然のことをお話しいただけませんか?
「この根室地方もそうですけれども、ひじょうに四季の変化が激しいですよね。雪が解ける頃、山にはまだ雪が真っ白に残っていて、手前の樹も葉が落ちたままになっていますよね。カラマツだとかナラだとか、広葉樹の葉も落ちているわけですから、枝だけがぎくしゃくしてる。ところがそのもっと手前、自分が立っている付近は草がもう緑になってきてるわけです」
──そこにある奥行きというのは、なんだかもう細見さんの多色刷り版画の構造そのものですよね(笑)。ただの風景の奥行きというのではなく、そこに時間的距離が介在していると申しますか。何枚かの版木で、背景、中心となる山や木々、そして手前の草むらのディティールをそれぞれ色分けしていく細見さんの手法にこの地方独特の自然がうまくリンクしていて、今のお話を聞き、技法的に判らなかったことがひと息に理解できた気がします。
ときどき、フィクションのように見えてしまうような風景画もあります。
「そうでは(フィクションでは)ないんです(笑)。たとえばこちらのカラマツは防風林として植えたものなので下枝を払わないんです。ですから樹の幹の下のほう、地面に近いところからすぐに枝が左右にひろがっているわけです。ところがそういうものを絵にして本州の展覧会などに出すと〝こんな樹はないでしょう?〟と言われてしまう。それくらい、この地域の特殊性というものが理解してもらえないんです」
──ここへ訪れることでそれが現実なのだと、僕もこの眼で確認することができました。そしてまた本州では見られないもの、流氷というモティーフが、細見さんの中でひとつのカテゴリーとなっているようにお見受けします。
「教員だった頃、朝電話がかかってるんです。〝氷張ってるよ!〟と。そうするとこどもたちを連れて見に行くわけですね。盛り上がってくる流氷というものを国後島の見えるオホーツクの海で初めて見たときはもう夢中になりました。帰って風邪で寝込むくらい(笑)。それはすごい体験でした。黒い海がまったく見えない。海があるはずのところが真っ白で。そしてまたそれが一晩で消えてしまうんです。潮の流れと風でね。それはもう強烈なものです。それから毎年、流氷の季節になると氷を見に出掛けるんです」
──いっぽう、氷ではなく沼や湖の水面に映る風景というものもモティーフとして多く取り組まれているようです。
「最初は、摩周湖へ行ったときに発見しました。私たちが裏摩周と呼んでいる場所ですけれども。風のない日に行くと水に映る世界とその上にある風景というものがまるで鏡のように同じに見えてくるんですね。それはもう、わあぁっていう、本当にうつくしいものでした。ときに風が吹くと水面の様子が変化して違う色合いを帯びていく。むずかしいけれど、描いてみたいなと思ったわけです」
──お話を伺っているうちに気づいたのですが、この地方がもつ風景の奥行きは、何枚かの版木を組み合わせて一枚の絵にする細見さんの多色刷りの多層性と構造的に似ているような気がし、またこの水に映る風景というカテゴリーに見られる「うつす」という在り様は、版木から紙へ世界を移しとるという、版画の最も根本的な行為とまさに鏡写しであるように思えました。
そして細見さんが削っていった木屑……この木屑こそがその自然からいただいたものであるということがたいへん象徴的であるように思うんですね。
「ですから、木を削ってしまうから、逆にその結果としてかたちが残っていくということでないといけないんだと思うんですけどもね」