窓の外には、質素だがかえってそのせいで洗練を際立たせるような中層団地群が音もなく在った。
2013年4月、僕はレコーディングのため東京郊外にある細海魚のプライベートスタジオにいる。
「録り終わったらコーヒー淹れますよ」
無口な彼がそう言い、それをたのしみにしながら録音に集中した。
 やがて豆が挽かれる音がし、たちまち部屋じゅうがいいにおいで充たされるとそこで初めて寛いだ気分になり、部屋の調度品を見回す。
「いい部屋だね。あの、スピーカーの上にあるカードは何? 版画?」
「これですか? あぁこれ、父が送ってきたんです。父の版画」
ごく単純に、おしゃれだね、かわいいね、といった意味で訊ねた質問に返ってきたのは意外な答えだった。ほんの5センチ四方の正方形に刷られた、小さな小さなそれは版画だ。
「お父様って、版画家なの?」
「そうです」
 僕らは録音を終え、魚くんが淹れたかなり美味しいコーヒーをふたりで飲みながら彼の父上の版画の実作や、印刷された版画作品の図録をテーブルに拡げていた。
寡黙でありながら極めてシャープなそのタッチにどんどん引き込まれていく。どこか現代画家ピーター・ドイグの描くスコットランドの湖沼地帯のようでもあり、いっぽうその作品群はこれまで見たいかなる版画とも異なる洗練を経たものとして焼きついた。その日以来「中標津」という地名が僕の中でとくべつな意味をもつようになったのだった。

   

  
 ** *** ****