Mujika Easel、という名前を初めて目にしたのは2014年だった。
2006年にはデビュー作『Love and Realism』が、つづくセカンド『海辺より』が2010年にそれぞれ自主レーベル『dear Air』からリリースされていることを知り、私はそれらをまとめて、そしてかなり集中的に聴く時間をもった。
2作は共に異なる色彩感を放ちながらも、あるひとつの個性によってつよく束ねられていることを感じた。
それは<辰巳加奈>というひとりの女性の、"天才"のきわだちであった。
<Mujika Easel>という単位は彼女ひとりの音ではなく、ごく限られた有能な演奏家たちとの即興性を孕んだ録音によって彼女の世界を記録したものである、と私は捉えた。そしてこの名義は、辰巳加奈の<作曲法>のことを言うのだとも解釈した。
前述2作との濃密な時間を経て私は彼女と連絡を取り、掴みかけていたそれらの解釈や感動を伝え、「なぜ3作目がないのか」を問い詰めることとなった。
彼女の回答は明快で、「つくりたくなったので今年じゅうに完成させます」とのことだった。
そうして私は、この第3作が出来上がって行く過程を少し離れたところから遠望することとなった。


Q: 5年ぶりとなるアルバム作品『眺め』を制作しようとした動機をおしえてください。
辰巳加奈(以下K): 東京で一度きちんとしたライブをしてみたいと思い、アルバムを作ってリリースライブとしていけばなんとか実現出来るのでは? というのがきっかけです。2008年、つまり『海辺より』の録音が終わってすぐに並行して着手したまだ完成していないアルバムが実はあるのですがそれはまだ当分仕上がらなさそうなので、過去の未発表曲や新曲を今の自分が演奏するとどうなるのだろうか? と、今回の『眺め』の制作を決めました。

Q: 前作『海辺より』から5年ものあいだ、音楽とどう向き合ってきたのでしょうか。
K: その5年間の前半は東京住まいで次のアルバム制作に没頭していましたが、その途中で色々上手く行かなくなりました。
後半は千葉に移り住み、間もなく1年間活動を休憩しようと決めました。その時に震災が起こり、その前から少し弱っていたということもあり大阪に移住しました。それで約8年間の関東生活から生活環境や何もかもががらっと変わってしまったのですが、昔やっていた<映糸>というバンドのメンバーたちとの再会もあり、誘われるがままに大阪でなんとなくライブ活動をはじめました。<Mujika Easel>としての活動はもう2~3年の間ほとんどやっていなかったのと、大阪に移住して間もなく愛犬の死などいろいろとあって酷く落ち込んでしまって出来る状態ではなかったです。そのため<Mujika Easel>をふくめて辛い過去はそっと忘れて、個人としての即興演奏などいろんな人と自由に何でもやってみました。不安を抱えつつも人との関わりがとても幸せで、その時に出会った人たちの音楽性からも伝わる飾り気のない落ち着いたほのかな温かさ強さを拠りどころに、ここからもう一度ゆったりやり直そうと思いました。それで、生まれたグループが今年8月に1st Albumをリリースした<Lavender Pillow>で、徐々にメンバーが増えてギターばかり8人なのですが(ひとりアコーディオンの幽霊部員も居ます、その方を入れると9人です)、みなさん元々ソロの弾き語りなどで活動されている方たちなので、歌も歌えるし曲も書けます。音楽を純粋に楽しむことをコンセプトにしています。これまでの孤独感や疲れが癒され、徐々にMujika Easelを取り戻す方向にも歩いて行くことができました。<Lavender Pillow>結成の半年後くらいに<天体>というユニットも結成されました。<天体>はギターの松本(智仁)くんがリーダーで彼が作曲をしていて私は主にピアノを弾いています。その<天体>の世界は私にとっては植物よりさらにミニマルな生命「石」のような世界だと勝手に感じてます。彼の不思議な楽譜に演奏でどう生命を吹き込むか、とても興味深く没頭しました。そうやって音楽と深く向き合ったことで、Mujika Easelも徐々にまた出来るようになって来たのだと思います。<天体>はピアノソロのアルバムを来年の2月にリリース予定です。
その他は、クラシックピアノに向き合っていました。生徒さんを教えつつ、自分も自分の先生になって、また今もレッスンにも通っています。ピアノの先生が仕事なのでこれはずっとこんな感じで続けていくのだと思います。


   

  
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