夜ごと空ごと
第六夜 断崖

 ベランダの椅子に座って、遠くを眺める。遠くといったって町のなかで、見えるのはコンクリートの黒ずんだアパート二棟と、バラバラな向きにとめられた車十数台、すきまに自生する草木だけだ。この家に暮らしはじめたころは古い建物を覆う大きなガジュマルが右手に見えたのに、伐られて建物も壊されて、ここにも車が置かれるようになった。
 今日は乗りたかった飛行機が欠航になった。目的地の隣の県の空港から電車を乗りついで行くこともできたけれど、とんぼ帰りになるので行かないことにした。飛行機もとばせないし船もこげないくせに離島県に住むなんて、他力本願すぎた。無人島に流れついた漁師の話を思いだす。波打ち際にたたずんで、無力な自分を眺めている。
 先週は東海岸を北上した。ススキの向こうに海と断崖をあおぎ、ヒカゲヘゴの頭からのびるゼンマイを見上げ、シリケンイモリのしっぽを追いかけた。使いなれない名詞ばかりだ。森の奥の山荘に入ると、テーブルに置かれたノートに先客が感想を書き残していた。
 「探していた答えがここで見つかりました」
 そんなことあるのか。私には問いすらわからない。力まかせに車を運転してここまで来たものの、まだ早すぎたのかもしれない。自分のまわり、歩ける範囲をもっと見つめないと。そう思って家に戻ってきた。
 今日を一緒にすごすはずだった人はいまごろどうしているだろう。電話をすればわかることだけれど、したくない。自分だけの力では、私は海の向こうに体も声も文字も届けられない。できるのは、想像することだけ。ここから遠くを見ようとするだけ。
 日がくれて、冷えてくる。足の細い女性が車に向かって歩いていく。こちらをふり返ったら、座っている私が見えるだろう。洗濯物に囲まれて駐車場に顔を向けて動かずにいる、宙ぶらりんな私が。闇にまぎれてもう見えないか。そろそろ部屋に入ったほうがいいと思いながら、立ち上がれない。


Photo: Takafumi Sotoma