January 2013

troisの紙巻きオルゴール

 すみれ、という名の友人がいる。すみれ。声に出すたび、うれしくなる言葉だ。芳しい香りが鼻先をすり抜けていく。よい友人は人生のご褒美だが、美しい名前を持つ友人ならば、さらに幸運だ。名前をつぶやくだけで豊かな気持ちになれるから。

 自分の名前が平凡なせいか、美しい名前に憧れてしまう。名付け親の両親を責める気はないが何か物足りない気持ちになってしまう。もしも画家の叔父なら、どんな名前をつけただろうか。
「姪の私に名前をつけるなら、どんな名前を選んだ?」
「昔好きだった人の名前をつけたかもしれないね…」叔父は少し笑って
「名前って、ひとつの祈りなんだよ。大事にしなきゃ」と続けた。

 すこやかな成長、明るい未来への願いから作られた「名前」。叔父の言うように粗末にしてはいけないと思う。けれど大切にする方法が分からない……。そんなことを数年考えていたとき、”言葉”を音にできる『troisの紙巻きオルゴール』に出会った。

「少し風変わりなオルゴールを作っています」
 冬の或る夜、物腰の柔らかいひとりの青年が店を訪れた。青年はポケットからオルゴールを取り出し、小さな曲を演奏してくれた。はじめて耳にする響き。それはまるで黄昏の優しさだった。重なり合う音のハーモニーが、目の前をニビ色の世界に変えていく。

 紙巻きオルゴールは古き良き時代の小さな楽器だ。穴をあけた紙をオルゴールに差し込み、ハンドルをまわすと、穴にあけたとおりに音が鳴る。15の音たちが存在し、作曲はもちろん、言葉や絵をメロディに変えることもできる。けれど同じ言葉も作る人によって音が変わるので、全て世界にひとつだけの曲になる。音の良さだけでなく、言葉に新しい視点を与えてくれるところが気に入った。

 今、troisのオルゴールは右側にある棚の上から二番目の位置にある。ガラスペンや羽ペン、ミッドナイトブルーのインク、マーブル模様の便箋などの近くだ。troisのオルゴールは言葉をめぐる物語を作る楽器だからこの位置に置いている。

 今年もあたらしい一年がはじまった。繰り返される日々の中、“名前”のような小さな祈りを忘れずに想いを届けていけたらと思う。祈りと祈る人のかたわらで。


紙巻きオルゴール屋 trois(とわ)